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海外バレエレポート(イタリア)29
ミラノ・スカラ座「くるみ割り人形」

スカラ座のシーズンは12月7日、ミラノの聖人アンブロージョの祝日に幕が開きます。バレエは季節柄、毎年「くるみ割り人形」でスタートするのですが、今年は芸術監督マニュエル・ルグリの古巣の十八番、ヌレエフ版での上演となりました。ヌレエフはスカラ座とも大変関係が深く、スカラ座にも彼に見出されたダンサーが多くいます。プティパ/イワーノフ版やピーター・ライト版、バランシン版は見慣れていましたが、ヌレエフ版は私にとっては初体験。他の版との大きな違いに驚きました。今回は、ダンサーのパフォーマンスについては写真でご覧頂き、ヌレエフ版「くるみ割り人形」について詳しく見ていきたい思います。

 

il Corpo di Ballo  @Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

 

“It’s not a pretty ballet”

ヌレエフ版「くるみ割り人形」はまさにこの一言に尽きます。これはヌレエフ自身の言葉です。くるみ割りといえば一般的に、子供でも楽しめるファンタジックで可愛らしい作品。一方、ヌレエフ版は確かにクリスマスが舞台ではありますが、全く子供向けではありません! むしろ、解釈が非常に難解な作品となっています。

 

プティパ/イワーノフ版の下敷きに用いられた「はしばみ割り物語」は、元々ドイツ語のE.T.A.ホフマンの「くるみ割り人形とネズミの王様」をデュマ父子がフランス語に翻訳したもの。ホフマンの原作の童話には不気味な暗い雰囲気が漂っており、当時子供には相応しくないとの批判を浴びました。ヌレエフ版はどちらかと言えば、ホフマンの世界を反映しているように思えます。

in primo piano Beatrice Carbone @Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

まず、ヌレエフ版の一番大きな特徴は、ドロッセルマイヤーと王子を1人のダンサーが踊る点です。ドロッセルマイヤーと王子といえば、真反対の役柄。前者は片目には海賊のような妖しげな黒の眼帯を付けたマイム中心のドゥミ・キャラクテール役、一方後者は典型的なダンスール・ノーブル役。なぜヌレエフはこの2つ役を1人のダンサーに踊らせることにしたのでしょうか?

1@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

2@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

数ある版の中に、キーロフ・バレエ団(現マリンスキーバレエ団)によって1934年に初演された、ワイノーネン版があります。”少女が夢の中で大人へと成長を遂げること” をテーマにし、主人公の少女を大人のダンサーが踊る演出を初めて採用したのがこの版です。キーロフ・バレエ団と言えば、ヌレエフが亡命するまで踊っていたバレエ団。そのバレエ団伝統の「くるみ割り人形」がワイノーネン版というわけです。したがって、彼が「くるみ割り人形」を振り付ける際、プティパ/イワーノフ版と共にワイノーネン版が頭にあったのは自然なことでしょう。実際ヌレエフもこの作品を、”少女が夢を通して成長する物語”と位置付けています。

 

3@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

4@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

5@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

ヌレエフ版「くるみ割り人形」では、クララはパーティーの最中に疲れ、くるみ割り人形を抱きながら椅子の上で眠ってしまい、夢を見ます。そして2幕の最後、クララは両親に起こされ、夢から覚めると、ちょうど招待客たちが帰り支度をしているとこと、という設定。つまり、 “クリスマスパーティーの最中でうたた寝したクララが見た夢”がメインに描かれています。では、クララを幼少期から青年期へ成長させた夢とは、一体どんな内容だったのでしょうか?

 

6@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

ツリーが巨大化し、ネズミの群れが出てくると、くるみ割り人形が動き出し、兵隊を率いてその群れと戦う。最終的にはクララの投げた靴がネズミの王様に命中して死ぬと、くるみ割り人形が突然王子に変わる。このくだりは基本的には主な他の版と同じです。

 

7@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

8@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

9@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

10@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

ヌレエフ版で一番象徴的なのはその後です。クララは妖しげな魔法の洞窟で、コウモリのような黒いマントに巨大な人間の頭をした異様な生き物の群れに遭遇します。その気持ちの悪い生き物に翻弄されるクララ。彼らが列をなしてクララに迫ってくる場面はあまりにもシュールで、これがあの「くるみ割り人形」だとは信じられません!

このシーンこそまさに “It’s not a pretty ballet”です !

 

11@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

そこに王子が登場。王子に励まされ、クララは勇気を出してその黒い群れに近づき、よく見てみると、それはコウモリの姿に代えられた大人の人間だと気付きます。中には親戚や両親の姿も。その瞬間、舞台は洞窟からクララのおもちゃの劇場に変わり、お気に入りのおもちゃたちが踊ります。そして、クララは両親に起こされて夢から覚めると、パーティーのお客が帰り支度をしているところ、という終わり方は前述の通りです。

gli allievi della scuola di ballo @Teatro alla Scala

 

さて、ここでクララが見た夢を分析してみましょう。クララは夢の中で、無意識の内にある恐怖=コンプレックスと立ち向かい、克服していくことで、幼少期から青年期へと成長していきます。最初はネズミ、そして続いて親戚や両親をも含むすべての大人たち。特に、大人はこれまでは自分を守ってくれる存在だったのに、成長と共に彼らに対して恐怖心や敵対する気持ちが芽生え始める。その一方で、そんな気持ちを抱いたことに自責の念を感じたりもする……。読者の方々も、この時期特有の、相反する様々な感情に葛藤する感覚はお分かりになると思います。それらに真正面から立ち会ったことでクララは成長するのです。

 

12@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

13@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

14@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

15@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

さて、ここで最初に呈した疑問に戻ります。なぜヌレエフは、ドロッセルマイヤーと王子、この対照的な役を1人のダンサーに踊らせることにしたのか?  理由は、クララを幼少期から青年期へ導くためには、ガイドとなる存在が必要だったからとしか思えません。そう解釈すると、クララが大人の中でも親しみを抱いていたドロッセルマイヤーと憧れの王子様が同一人物である必要性が生まれます。ヌレエフ版では、ドロッセルマイヤーは黒い眼帯をし、片足を引きずっているものの、どこか若々しく颯爽としており、一方、王子は若くはありながらもどこか老成したものを持っているように描かれています。

16@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

 

17@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

18@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

考察しようと思えばいくらでも掘り下げられるのでしょうが、とにもかくにも、この作品はあくまでもバレエであり、あまりにも明快な説明付けをしようとするのは危険です。動きの連続が重なり合い、それがテーマの”ようなもの”を作り出すのがバレエ。振付家自身の言葉が残っていればその部分は明白ですが、その他の部分については目に見えるものが全て、それ以上でも以下でもありません。ただ、各個人でさまざまな解釈をつけてみることは当然自由! その意味で、このヌレエフ版は想像力を激しく掻き立てるバージョンだと言えます。

最後にバレエのテクニック的な事に触れると、【ヌレエフ版=これでもかというくらい複雑で難しい】、それはこの作品も例に漏れません。クリスマス物として見ていて楽しいかと言われれば言葉に詰まりますが、興味深い版であることは確かです。これをきっかけに彼に関する本やドキュメンタリーをもう一度見てみてはいかがでしょうか?

 

19@Brescia e Amisano Teatro alla Scala

 

記事:川西麻理

◆海外バレエレポート(イタリア)28 ミラノ・スカラ座「オネーギン」

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